不動明王 (ふどうみょうおう)は密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。 五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王と祀られる。
密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。真言宗では大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もある。
不動明王の起源は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力である。梵名のアチャラナータもヒンドゥー教ではシヴァ神の別名とされている。密教がヒンドゥー教を取り込むために、シヴァ神を不動明王として大日如来の眷属とすることでその神格を吸収する一方で降三世明王がシヴァ神を屈服させたとしたものと思われる。これは他宗教の神を吸収する際によく行われる事である。
梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。チベット仏教などではこの名よりもチャンダ・マハーローシャナ (चण्डमहारोषण [caNDamahaaroSaNa])即ち暴悪忿怒尊の名でより知られる。しかし、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものである。
空海(弘法大師)が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われる。「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。「使者」とは、大日如来の使者という意味である。
密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はしょっ引いて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
また、密教経典によれば、不動明王とは釈迦が悟りを開いた菩提樹下の坐禅中に煩悩を焼きつくしている姿だとしている。釈迦が成道の修行の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せ、釈迦に問答を挑んだり、千人の少女に誘惑させたりしたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに説破し、超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。
唐の不空が訳した密教経典「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」(ちりさんまやふどうそんしょうじゃねんじゅひみつほう)には、大自在天(ヒンドゥー教の最高神シヴァ)を不動明王が調伏する説話がある。
それによると、大日如来が悟りを開いて仏陀になったとき、ありとあらゆる三界の生き物たちが集会に来たが、自分こそ三千世界の主と考え慢心する大自在天だけは招集に応じなかった。
大自在天は「持明者(インドの魔法を使う精霊、ここでは夜叉明王)が使いとして来るだろうが、奴らは不浄なものを嫌うから、不浄なものを幻術で作り出し四方に張り、その中にいれば持明者の明術も役に立つまい」として結界を張り、近寄れないようにした。
不動明王が大自在天を呼びに行くと不浄の結界で覆われていたので、不動明王は不浄金剛(烏枢沙摩明王)を召還し、不浄を食らい尽くさせた。そして、ただちに不動明王は大自在天を捕らえて仏陀の元へ連行する。
しかし大自在天は「汝らは夜叉に過ぎぬが、私は神々の王なのだ」と言い何回も逃げ続けた。仏陀が「断罪すべし」と命ずると、大自在天とその妃(ウマー)を踏み殺し絶命させたのだった。
そして、大自在天の処分を尋ねると仏陀は「蘇生させよ」と言うので、法界生真言を唱えて復活させた。大自在天は喜び不思議がり「この夜叉は何者なのでしょうか?」と尋ねると、仏陀は「諸仏の主である」と答えた。大自在天は感激し、万物の全てにおいて尊い諸仏の上に、さらに諸仏の主がいることを知り、また彼が不動明王という「大王」のお陰で将来仏になれる授記をも得たのだった。
ここでは、不動明王のことを、夜叉、大王、諸仏の主と呼んでいるのが特徴的である。
密教の明王像は多面多臂の怪異な姿のものが多いが、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と羂索(けんじゃく。悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としている(密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれ、後述のように日蓮は四臂の不動明王を感得しているが、立体像として造形されることはまれである)。剣は竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。
また、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度せんことを表しているといわれる。しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。
人間界と仏界を隔てる天界の火生三昧(かしょうざんまい。人間界の煩悩や欲望が天界に波及しないよう烈火で焼き尽くす世界)と呼ばれる炎の世界に住している。不動明王は多くの明王の中でも中心的な存在であり、像容は肥満した童子形に作ることが多く、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結んでいる。その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であることを表している。右手に剣、左手に羂索を握りしめ、背に迦楼羅焔(かるらえん。迦楼羅の形をした炎)を背負い、貪・瞋・癡を許さんとする慈悲極まりた憤怒の相で、岩を組み合わせた瑟瑟座(しつしつざ)か、粗岩(ダイヤモンドの原石)の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である。
以下に典型的な像の形を示す。
東寺型 東寺講堂の空海作の坐像が典型。不動明王像では非常に多い形である。
浪切不動型 高野山南院の立像が典型。空海作。剣をかざす立像で、波を斬るような像容である。
黄不動型 園城寺の画像が有名。円珍が感得した像。体型はスリムで成人男性。金色で立像という異例の像。
インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるがインドや中国にはその造像の遺例は非常に少ない。日本では密教の流行に従い盛んに造像が行われた。日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像は両眼を正面に見開き前歯で下唇を噛んで左右の牙を下向きに出した現実的な表情で製作されていた。しかし時代が降るにつれ天地眼(右眼を見開き左眼を眇める、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という左右非対称の姿の像が増えるようになる。これは10世紀、天台僧・安然らが不動明王を観想するために唱えた「不動十九観」に基づくものである。
また、日蓮宗系各派の本尊(いわゆる十界曼荼羅)にも不動明王が書かれている為、日蓮宗でも不動明王を奉安する寺院が存在する。愛染明王と同様、空海によって伝えられた密教の尊格であることから、日蓮以来代々種子で書かれている。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。
不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もあるが八大童子のうちの2名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒(多)迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表されることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。
三尊形式の場合、不動明王の右に制吒迦童子、左に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制多迦童子は対照的に金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。
八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)である。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。
宮城・松島瑞巌寺五大堂(秘仏)木造不動明王坐像
埼玉・總願寺
埼玉・常楽院(高山不動尊) 木造軍荼利明王立像
埼玉・狭山山不動寺
千葉・成田山新勝寺 木造不動明王二童子像
千葉・弘行寺(長生不動尊)木造不動明王立像
東京・瀧泉寺
東京・薬研堀不動院
東京・金剛寺(高幡不動) 木造不動明王二童子像
神奈川・大山寺 鉄造不動明王二童子像
富山・日石寺 不動明王坐像
福井・圓照寺 木造不動明王立像
滋賀・延暦寺 木造不動明王立像
滋賀・石山寺 木造不動明王坐像
滋賀・西明寺 木造不動明王立像
京都・東寺講堂 木造不動明王坐像
京都・東寺御影堂 木造不動明王坐像
京都・鹿苑寺(金閣寺) 石造不動明王像
京都・同聚院(東福寺塔頭) 木造不動明王坐像
奈良・東大寺法華堂 木造不動明王二童子像
奈良・新薬師寺 木造不動明王二童子像
奈良・唐招提寺 木造不動明王像
奈良・長谷寺 木造不動明王坐像
大阪・観心寺 木造不動明王坐像
大阪・瀧谷不動明王寺 木造不動明王二童子像
和歌山・金剛峯寺 木造不動明王立像
和歌山・金剛峯寺(護摩堂) 木造不動明王坐像
和歌山・高野山南院 木造不動明王立像
兵庫・神呪寺 木造不動明王坐像
鳥取・不動院岩屋堂 木造不動明王像
香川・成田山聖代寺 不動明王像
熊本・天台宗・雁回山長寿寺 木造不動明王像
沖縄・安国寺 木造不動明王像
全国・成田山 大本山を真言宗智山派成田山新勝寺とし全国各地にみられる。
■三不動
諸説あるが著名なものは下記の2つ。
黄不動-滋賀・園城寺(三井寺)蔵 絹本着色不動明王像(国宝)
青不動-京都・青蓮院蔵 絹本着色不動明王二童子像(国宝)
赤不動-和歌山・高野山明王院蔵 絹本着色不動明王二童子像(重要文化財)
目黒不動 - 瀧泉寺
目白不動 - 金乗院
目赤不動 - 南谷寺
¥64,800
約310(H)×155(W)×160(D)mm 2.2kg
運慶作の重要文化財「不動明王立像」を再現。源頼朝の片腕として活躍した和田義盛の建立した寺院に安置される。 堂々として力強い体躯でありながら、平安時代後期の仏像のような上品さをあわせ持つ。 運慶の関東地方での活動を裏付ける、歴史的にも価値の高い名品。