千手観音(せんじゅかんのん)、梵名サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ。
「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。
六観音の一尊でもある。眷属として二十八部衆を従える。
日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく二十七面につくる像もあり、必ずしも「十一面千手千眼観音」が正しいとは言いきれない。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。
密教の曼荼羅では観音像は「蓮華部」に分類されている。千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都の三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。
坐像、立像ともにあり、実際に千本の手を表現した作例もあるが、十一面四十二臂とするものが一般的である(和歌山・道成寺本尊像は例外で、四十四臂に表す)。四十二臂の意味については、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」であると説明されている。ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるという考えである(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。俗に言う「有頂天」とは二十五の有の頂点にある天上界のことを指す。
京都三十三間堂の本尊(坐像)は、鎌倉時代の仏師湛慶の代表作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作である。42本の手の内2本は胸前で合掌し、他の2本は腹前で組み合わせて宝鉢(ほうはつ)を持つ(これを宝鉢手という)。他の38本の脇手にはそれぞれ法輪、錫杖(しゃくじょう)、水瓶(すいびょう)など様々な持物(じもつ)を持つ。38手に何を持つかについては経典に述べられているが(後出)、彫像の場合は長年の間に持物が紛失したり、後世の補作に替わっている場合が多い。
奈良唐招提寺金堂像(立像)、大阪葛井寺本尊像(坐像)、京都寿宝寺本尊像(立像)などは、実際に千本の手を表現した作例である。像高5mを超える唐招提寺像は大手が42本で、大手の隙間に多数の小手(現存953本という)を表す。葛井寺像は、大手が40本(宝鉢手をつくらない)、小手は1,001本である。小手は正面から見ると像本体から直接生えているように見えるが、実は、像背後に立てた2本の支柱にびっしりと小手が取り付けられている。葛井寺像の大手・小手の掌には、絵具で「眼」が描かれていたことがわずかに残る痕跡から判明し、文字通り「千手千眼」を表したものであった。
千手観音の造像例は、インドにはほとんど知られないが、中国では唐代の龍門石窟などに遺例がある。日本での千手観音信仰の開始は古く、空海が正純密教を伝える以前、奈良時代から造像が行われていた。東大寺には天平年間に千手堂が建てられたことが知られ、同寺の今はない講堂にも千手観音像が安置されていた。日本における現存作例では、8世紀半ばの制作とされる葛井寺像が最古とされ、唐招提寺像も8世紀末~9世紀初頭の作品である。和歌山・道成寺の秘仏北向本尊像の胎内からは大破した千手観音像が発見されているが、これは道成寺草創期の本尊と思われ、奈良時代に遡るものである。
その他、千手観音をまつる著名寺院としては、清水寺、三十三間堂、西国札所の粉河寺などがある。京都・清水寺本尊(立像)は、33年に一度開扉の秘仏で、42本の手のうちの2本を頭上に挙げて組み合わせる独特の形をもち、「清水型」といわれている。同じ清水寺の奥之院本尊の秘仏千手観音像は珍しく27面をもつ坐像である。
■千手観音の持物
千手観音の持物(じもつ)については、『千手千眼陀羅尼経』などの経典に説かれており、実際の彫像、画像などもおおむね経典にしたがって造形されている。
○左手の持物
宝戟(ほうげき)先端が3つに分かれた武器。
化仏(けぶつ)小型の仏像。
宝鐸(ほうたく)小型の鐘のこと。
白蓮華(びゃくれんげ)
払子(ほっす)元来は蝿などを追い払うための道具。
羂索(けんさく)投げ縄のこと。
日輪(にちりん)「日精摩尼」(にっしょうまに)
宝輪(ほうりん)「不退金輪」
宝螺(ほうら)ほら貝。
玉環(ぎょくかん)「金環」。代わりに「宝釧」(ほうせん)を持つことも。
髑髏杖(どくろじょう)
紅蓮華(ぐれんげ)
傍牌(ぼうはい)龍の顔を表した楯のようなもの。
宮殿(くうでん)「化宮殿」
五色雲(ごしきうん)右手に持つ場合もある。
宝鉤(ほうこう)「倶尸鉄鉤」。先端が直角に曲がった棒状の武器。
宝剣(ほうけん)柄の部分が三叉に分かれた三鈷剣。
宝弓(ほうきゅう)右手に持つ矢(宝箭)と対をなす。
澡瓶(そうびょう)「軍持」とも。水差し。
○右手の持物
錫杖(しゃくじょう)左手にもつ「宝戟」と対をなす。持って歩くと輪が音を発するためインドで山野を歩く際の毒蛇除けとして使用されたもの。
化仏(けぶつ)
三鈷杵(さんこしょ)両端が三叉になった法具。
青蓮華(しょうれんげ)
楊枝(ようじ)柳の枝。「楊柳」とも。
数珠(じゅず)
月輪(がちりん)「月精摩尼」。
宝珠(ほうじゅ)「如意珠」。
宝経(ほうきょう)「経篋」(きょうきょう)。
宝印(ほういん)
蒲桃(ぶどう)葡萄のこと。
紫蓮華(しれんげ)
施無畏手(せむいしゅ)持物を持たない手。
宝鏡(ほうきょう)
宝篋(ほうきょう)小箱。「梵篋」とも。
金剛杵(こんごうしょ)「独鈷杵」(とっこしょ)とも。両端に鋭い刃の付いた武器。
鉞斧(えっぷ)「おの」「まさかり」のこと。
宝箭(ほうせん)矢のこと。
胡瓶(こびょう)ペルシャ風の水差し。
『千手千眼陀羅尼経』では以上の38本の持物をもつ手に加えて「合掌手」と「宝鉢手」を含めて40本の手について言及している。日本における千手観音の実際の造像例を見ると、腹前(坐像の場合は膝上)で2本の手を組み、その上に宝鉢を乗せる形式のものが多い。宝鉢を持つ2本と胸前で合掌する2本の手を合わせて42臂となる。
福島・恵隆寺像(立像)(重文)
京都・清水寺本尊像(立像)
京都・清水寺奥之院本尊像(坐像)(重文)
京都・三十三間堂本尊像(坐像)(国宝)
京都・三十三間堂像(1,001体、立像)(重文)
京都・東寺旧食堂像(立像)(重文)
京都・広隆寺旧講堂像(立像)(国宝)
京都・法性寺像(立像) (国宝)
京都・峰定寺像(坐像)(重文)
大阪・葛井寺本尊像(坐像)(国宝)
奈良・唐招提寺金堂像(立像)(国宝)
奈良・興福寺旧食堂像(立像)(国宝)
三重・太江寺像(坐像)(重文)
和歌山・道成寺本尊像(立像)(国宝)
福岡・大悲王院像(立像)(重文)
¥300,000
約460(H)×325(W)×195(D)mm 4.2kg
木心乾漆(もくしんかんしつ)像としてはわが国最大である、国宝「千手観音立像」を再現。頭頂に如来相、周囲に菩薩相5面、憤怒相3面、大笑相1面の十面を頂き、眉間には第三の眼が与えられる。 造像当時は扇のように広がる仏手が千本造られており、千手観音の慈悲のひろがりを見事にあらわす。